あの頃の俺達はNINTENDO64が希望だった
コラム 2019.10.12
こんにちは、27歳になってもたまにゲームでキレる事があるプロゲーマーならぬ「クソゲーマーケンシロウ」 です。
ゲームをやり始めたのは小学校低学年の頃・・・
当時裕福な家庭の奴の基準は
⚪︎ポケモン金と銀を両方買ってもらえる奴
⚪︎家にプレステがある奴
⚪︎家にNINTENDO64がある奴
⚪︎遊びに行ったときに友達のオカンがみんなにピザポテトパーティーパックを振舞ってくれる家庭の奴・・・
多分90年生まれの人々は同じようなあるあるを持っていると思う。
その中でもNINTENDO64は僕達の遊戯に革命的な光を差し込んでくれた。
僕らのグループに1人NINTENDO64を持っている裕福な友達がいた。
ちょっと調子に乗ってる奴であんまり好きではなかったけど。
NINTENDO64の為なら 靴だって舐めれた。
スイッチを入れると (ポン) 「64!」 と掛け声が最初にありゲームが始まる。
なんだこの立体的なポリゴンキャラは!
なんだこのスティックは!グリグリじゃあねぇか!
僕達は狂ったように何時間もゲームをした。
初3Dということもあり、3D酔いでトイレで吐く奴まで現れた。
その時のNINTENDO 神ゲーム3つ NINTENDO神3
大乱闘スマッシュブラザーズ
007ゴールデンアイ
マリオカート
が僕らのすべて。
格闘ゲームの駆け引きを学び、エイム力を育て、コースショートカットの閃きが現ケンシロウのゲーマーの土台を作っているとハッキリ言っていい。
夏休みはすべてゲームに費やした。
来る日も来る日も友達の家に行き、ゲーム、ゲーム、ゲーム🎮
本体は高くて買えないからお小遣いを貯めてマイコントローラーを持つ強者も現れた。
親の目にとって僕達はカルト狂にしか見えなかっただろう…
そして遂に自分の家にも神器 NINTENDO64を買ってもらえる事となった!!俺の家に、あの64が!!!
しかも自分のNINTENDO64はピカチュウver. !
64にピカチュウが融合してスイッチを入れるとほっぺたが光るという激萌えスタイル!
鬼に金棒 のような、
可愛い子で巨乳のような、
ゴール前のメッシのような。
とにかくその時代では僕も輝けるという事である!
「俺ん家にも64あるばい!」 というセリフが言える!
ピザポテトは出せないが、母子家庭で親が遅くまで働いてるからみんなと長時間ゲームできる!(オカンよすまん)
楽しかった。マジで楽しかった。マジで狂っていた。(またここで不登校だったy君がスマブラ下克上で無類の強さを発揮して学校で名を轟かせ登校するようになった話は後日…)
そうやってケンシロウのゲーム力はメキメキ 力を入れていったのである。
特にスマブラはみんなが飽きてもひたすらしていた。
おかげ僕は学年では負け知らず。
中学校ではゲームキューブのスマブラDXが流行り、相手の動きを先読みしてから倒す事から「写輪眼のケンシロウ」
となんとも厨二臭い二つ名まで持っていた。
そうしてみんな大人になり結婚する奴が増えた。
そもそもゲームしない奴が増えた。
もう同じ世代で輝けるのはゲームが上手い奴ではない。
金を持っている奴だ。
それでも僕はまだNINTENDO SwitchでスマブラSPをやっている。昔の俺は強かったなぁと反射神経の衰えをひしひしと感じながらなんとかネットで全体の上位5%のvip部屋にしがみついている。
あの頃のNINTENDO64のおかげだ。
たまにバーに64が置いてあり、みんなでそこでの会計を賭けて勝負するが未だに負けたことはない。
NINTENDO64に感謝だ。
少しでもすごいなぁと思ってくれた人もいるかもしれないけれど……
この特技は 「女にモテない」。